はしっこ橋子の橋歩き

橋の魅力にはまった、はしっこ橋子の橋歩き日記です。

大門大橋(だいもんおおはし)を歩く

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大門大橋(だいもんおおはし)を歩きました。

県道高岡青井谷(あおいだに)線、射水市枇杷首(びわくび)、大門(だいもん)間。庄川に架かる橋です。

橋長433.5m。幅員6.0m。昭和37年竣工。曲弦ワーレントラス+活荷重合成鈑桁橋。ライブカメラも設置されていて、橋の周囲の様子がいつでも見られる!

 

この橋のある県道は旧北陸道で、歴史的な建築物も残っていて歩くと面白いです。面白い地名も残っています。「道番」(みちばん)、「戸破」(ひばり)、「三ケ」(さんが)など・・・

橋の歴史もとても古いです。

今ある場所よりももう少し下流側、あいの風とやま鉄道の庄川橋梁のあたりに1646年に初めて橋が架けられたのですが、

その後、洪水で流され、川の様子も変わって中洲ができたりして、1666年に中洲まで右岸から橋を架けて、中洲から対岸の大門までは渡し船を使ったそうです。(左岸、右岸は河口に向かってそれぞれ左側、右側を指します)

 

不便さを見かねた高岡の挟客「大長」がその後、大門大橋のもととなる橋=「大長橋」145mを架けました。すごい!

挟客といってもピンとこない人が多いかもしれませんね。私は「きょうきゃく」とキーボードを打つと「橋脚」になってしまいます。。。

 

それから20回以上架け替えられています。

明治期から見てみると、

明治10年木橋

明治21年木橋(雄神橋)

明治40年木橋(雄神橋)

昭和13年木橋(雄神橋)

昭和27年木土橋(大門大橋)

そして、昭和37年に今の大門大橋が完成。

橋の名前が変わっていくのが不思議ですがそれよりも昭和37年まで土と木でできていた橋だった、というのがやはり驚きです。

 

大門大橋は一度見ると忘れられない真っ赤な橋です。

枇杷首神社と大門神社の秋のお祭り=大門曳山祭りのときに花山車4つがこの橋を渡ります。

リアルな写真を持っていないので残念。大門大橋で検索するとこのお祭りの様子がたくさん出てきます。

このお祭りに出る4つの町の曳山のイメージの装飾が橋の親柱に施されています。枇杷首、西町、そして田町と中町は隣接する錦橋の親柱に。

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この橋は大門町の誇りなんですね。

昭和37年、トラス橋となったわけですがこのトラスが高さ7.5mある曳山を通行を妨げて、4つ全部が橋を渡ることができなくなり、そのためにというのではないかもしれないけど、その後、新たに橋の上になにもないデッキ橋の歩道橋が平成8年にできました。曳山は全部通れるようになってめでたしめでたしです。

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枇杷首から。歩道橋を歩きます。親柱には曳山を連想させる装飾があります。これは枇杷首の曳山のイメージ。きんぴか〜。そして照明と、高欄には庄川河畔で行われる凧揚げの凧と鮎のイメージのデザインが施されています。

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正面は長方形、側面は6角形になっていて面白い。そしてちょっとかしいでいるのも。

 

デッキがあります。庄川上流側を眺めました。

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この日はお天気がよかったので鮎釣りの人が出ていました。富山では庄川の鮎か、神通川の鮎か。どっちが美味しい?なんて話をします。私はどっちも同じと思うのですが、一年に一度子持ち鮎を食べに行くのは庄川にあるお店。。。

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歩道橋と車道の間は結構間隔が空いていて、作業用の階段?のようなものがあります。ここに入ろうとする人がいるんですね。

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橋脚には水位の目標があります。洪水にはなって欲しくない!

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1961年3月に作られています。真っ赤なのが印象的な大門大橋。

 

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大門側の親柱。装飾は西町の曳山のイメージ。

毎年秋にはこの歩道橋を4つの曳山が「橋渡り」します。

トラスが障害になって橋渡りが不可能になって、

4つある曳山のうちの枇杷首の曳山は改造までして橋渡りをしたとか。

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昭和47年に添架された歩道(ここは曳山は通りません)。

車道のトラスが曳山の運行の障害になるなんて想定外だったんだろうな。

 

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歩道の脇に付けられている照明。川面を見るため??

それにしても水が澄んでいるのにびっくり。

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大門側の歩道の高欄は結構傷んでいました。

平成14年に右折レーンが作られたので歩道もこんな感じに曲がってます。

 

河原へ出て歩道橋を覗き込みました。何か作業をしておられました。

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大門側には錦橋という和田川に架かる橋がすぐそばにあります。和田川が庄川に隣接して流れているからですが、まるで大門大橋の取り付け道路のように思ってしまう。

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錦橋の親柱。中町の曳山の鳳凰をイメージ。

大門大橋を背中にして枇杷首方向です。

 

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大門大橋の枇杷首側にある錦橋。親柱は田町の曳山のイメージ。

和田川にかかる鋼鈑桁橋。約36m。幅は6m。

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まるで大門大橋のおまけみたいに(失礼!)デザインが施されている錦橋ですが、何も仕掛けないでおいたほうがこの橋の存在が際立つように思うのは私だけだろうか。

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つたがからまっていい感じ。

大門大橋の歴史がわかって、北陸道のことが少し勉強できました。橋を歩くのはやっぱりいいなぁ。